東京高等裁判所 昭和40年(う)1126号 決定 1965年10月04日
被告人 島田浩
決 定
(被告人氏名略)
右の者に対する公務執行妨害、傷害控訴事件について、当裁判所は次の通り決定する。
主文
被告人に対する右事件について昭和三八年四月一〇日東京地方裁判所がなした有罪判決に対する被告人の控訴の取下は有効であり、これにより右第一審判決は確定したものと認める。
理由
被告人は、昭和三八年四月一〇日東京地方裁判所において公務執行妨害、傷害、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反被告事件について、公務執行妨害、傷害の事実について懲役四月、三年間執行猶予、訴訟費用負担、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の事実について無罪の判決の言渡を受け、同月二二日右有罪判決に対し控訴の申立をなした。ところが、同年六月一九日被告人名義の同日付の控訴取下書が東京地方裁判所へ提出された。しかし、右控訴取下書の署名押印は被告人がなしたものであるが、それはかねて控訴申立用及び控訴審への弁護人選任届用とする了解の下に二通の白紙に被告人の署名押印をして原審弁護人原則雄に渡しておいたところ、原弁護人が右一通を使用して控訴申立書を作成提出した後、残りの一通を予定の弁護人選任届に使用しないで勝手にこれに控訴取下の趣意を記入して右控訴取下書を作成し、これを国鉄労組東京地方本部の布川昇が提出したものである。したがつて右控訴取下は何ら被告人の意思に基づかないものであるから無効であると被告人は主張するのである。
よつて調査すると、当裁判所が取調べた証人原則雄、同布川昇の各証言によれば、被告人は原審の審理の途中健康を害し、そのために相被告人等と分離されて判決の言渡を受けたのであるが、判決言渡の前から健康上の理由により一審判決があればたとえ有罪でも控訴しないでそれに服し国鉄を退職したいと国鉄労組東京地方本部法規対策部長布川昇(被告人等の事件についてはかねて国鉄労組が中心となり被告団、弁護団と協力しながら法廷対策を進めてきたもので、布川が労組の担当委員として各関係者間の連絡等の任に当つていた。)に申入れ、これに対し同人が事件担当の弁護人原則雄と協議の結果、被告人のみが今すぐ一審判決に服すると他の相被告人の訴訟が今後やりにくくなるという理由から被告人にその飜意方を求め、結局両者話合いの末、被告人も一審判決に対し一応は控訴する(被告人を含め国鉄労組側としては有罪判決が下ることを予想していた)が、有罪判決が確定し国鉄を退職した場合国鉄労組から支給さるべき犠牲者救済金(以下「救済金」という。)の金額問題が解決したとき控訴の取下をして国鉄を退職することに決まり、被告人に対し前述のように昭和三八年四月一〇日一審判決の言渡があつた当日その法廷で、被告人は控訴申立用及び控訴取下用にあてるため白紙二通に署名押印して(原証言によれば、右のほか、控訴取下の時期が未確定なので、弁護人選任届用一通を追加し、計白紙三通に署名押印したというのであるが、布川証言によれば、弁護届用をもらう話はなく、二通であつたといい、両者くいちがいを示している。弁護人選任届は結局裁判所へは提出されていない。)これを原弁護士を通じてその場にいた布川昇に手交し、同人はその一通を使用して原弁護士に被告人のため控訴申立書を作成してもらいこれを原審へ提出し、他の一通(原証言によれば二通)は同人が保管し、その後被告人に支給さるべき救済金の金額が確定し問題も解決したのでかねての打合せ通り控訴の取下をすることとなり、布川は原弁護士に前記保管中の被告人の署名押印のある白紙の一通に被告人の控訴取下の趣意を記入してもらい、同年六月一九日東京地方裁判所であらかじめ連絡しておいた被告人と落合い同行して右控訴取下書を係官に提出し、前に被告人から受領していた被告人作成の国鉄退職願書を控訴取下証明書と共に六月二〇日に国鉄当局へ提出したというのであり、これに対し同じく当裁判所が取調べた被告人の供述及び被告人作成の「私が本申立について証明しようとする事実」と題する書面によれば、被告人が、原審の審理の途中病気になつたことは事実であるが、そのために一審の判決に服し国鉄を退職したいと労組側に申入れたことはなく、又労組側と控訴の取下について話合をしたこともない、むしろ被告人としては一審で労組が指導してきた統一法廷闘争のやり方に反対で、控訴審では真実を述べてあくまで無罪を主張したいつもりでいた、ところが本件控訴取下書が裁判所へ提出される前、布川から被告人に対し「組合機関の決定により君の控訴を取下げ君に国鉄を辞めてもらうことになつた、組合の決定に服せ」と申入れがあり、右控訴取下の日に裁判所へくるよう連絡があつたので、被告人は当日裁判所に行き布川が控訴取下書を提出することを阻止しようとしたが、同行の組合役員の飯田、田崎らに遮られて果たさず、布川は一方的に勝手に右取下書を当局に提出してしまつた、要するに本件は労組幹部が被告人を組合の統一戦線の列外に離しその組織外に放逐しようと図つた謀略に外ならないというのである。
しかし、以上取調の結果により明らかなように、本件控訴取下書は、委任の趣旨について争のある点は別として、ともかく被告人の署名押印ある白紙の書面を使用して作成され国鉄労組役員の布川昇を通じて裁判所へ提出されたものであり、又争のない控訴の申立についても、右と同様被告人の署名押印ある白紙の書面を使用して作成され同じく布川を通じて当局へ提出されたものであること、布川が右控訴取下書を東京地方裁判所へ提出する際にもあらかじめ被告人にそのことを連絡の上当日同人を裁判所に招致しており、被告人はその際布川の控訴取下書提出を阻止しようとしたが遮られて果たさなかつたというけれども、控訴取下書提出後今回の無効申立にいたるまで何ら裁判所当局に対し異議を申述していないこと、控訴取下と密接な関連があるものと認められる国鉄の退職についても何ら異議を申し立てていないこと、検察官提出の「島田浩に対する訴訟費用の負担を命ずる裁判の執行状況について」と題する書面及び被告人の供述によれば、判決確定を前提とする訴訟費用の納付命令に対しても被告人は何ら異議を申述せず、労組側と交渉してその全額を納入させたこと等に徴すれば、本件控訴の取下が被告人の意思に基づかなかつたとの被告人の弁解はにわかに信じ難く、むしろ被告人が控訴取下の効力を争うようになつたのは、国鉄労組の被告人に対する救済金の支給が被告人の期待するようには行かなかつたことに不満をもつたことが原因ではないかと推測されるのであつて、これを要するに本件控訴取下書提出に関連して被告人と労組側との間に種々の交渉経緯があり、これが決定について労組側の関与があつたことは事実であるとしても、少くとも原証言、布川証言にあるとおり本件控訴の取下が当時被告人の意思に基づいたものであることはこれを否定し難いものと断ずるの外はない。
以上の次第で、本件控訴取下は有効であり、すでに一審判決は確定しているものといわなければならないのであるが、被告人が控訴取下の効力を争つているので、決定をもつてその趣旨を明らかにしたわけである。
(裁判官 足立進 栗本一夫 浅野豊秀)